ユタカに泣かされた話

いい年こいて、仕事をしながら泣くとは思わなかった。

基本的に仕事を家に持ち帰っているときは、何かしらの音楽を流しながら作業をしている。

思えば、小学生のころからラジオを聴きながら宿題をしていたので
何かしらを聞きながら作業をすることには慣れている。

むしろ、内容を聞きすぎて勉学の中身が入ってこなかったのは内緒だ。
ラジオを聞かずにまじめに勉強だけしていれば…、と今でも少し後悔している。

大人になった今でも「ながら作業」をやめれば、すべて解決する気がしている(着手はしていない)

音楽の趣味は14-16歳で決まってくると思う

そんなこんなで、仕事をしながら聞く楽曲といえば
作業用BGMか、今の若者が聞いたら「あ、これお父さんがよくカラオケで歌ってましたよ!」
って場を盛り上げるためにボクらの年代に忖度して言ったであろう、何気に傷つく一言を添えられそうな20年近く前の邦楽が多くなってくる。

言っとくけどミスチルとかスピッツとか、今も現役だからね!

ただ、最近発表された彼らの楽曲は歌えない。
しかしながら20年前のやつは画面や歌詞カードも見ずに歌える。もちろんフルコーラスで。

なので、知ってる曲が流れたらついつい歌ってしまう。
→あ、あの曲聞きたいな
→探す
→歌う
→あ、あの曲聞きたいな
→探す(以下ループ

結果、作業が進まない。
唯一分かったのは、ボクが中学生のころから何も進歩していないということだった。

思春期に聴いた楽曲は一生覚えているというのは本当のことなんだと思う。

よくわかんないけど泣いた

いつも通り、プレイリストを流していたらこの曲が流れてきた。
15歳くらいの時によく聴いた曲だ。

まずは、歌詞をご覧いただきたい。

心すれちがう悲しい生き様にため息もらしていた
だけど この目に映る この街で僕はずっと 生きてゆかなければ
人を傷つける事に目を伏せるけど
優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく


僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ
こんなに愛していた
誰がいけないとゆう訳でもないけど 人は皆わがままだ
慣れあいの様に暮しても 君を傷つけてばかりさ
こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから

君が君であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
君は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

尾崎豊 「僕が僕であるために」

そう、尾崎豊の「僕が僕であるために」だ。
うん、年齢はサバ読んでないよ?

残念ながら、ボクはリアルタイムで彼の楽曲を聞いたことがない。
うん、だからサバは読んでないってば。

15歳の時に聴いたこの曲は、特段思い入れのある曲でもなく
むしろ「15の夜」や「Oh My little girl」のほうが好きだったし、何度もリピートして聞いていた。

なのに、なぜかこの曲で泣いた。

確かにこの人生で勝ち続けてないし、誰かを傷つけてばかりなのかもしれない。
正しいものが何なのかもよくわかってないし、
寒くなってきたから、冷たい街の風にも吹かれ続けてる。

でも、泣き所が自分でもよくわからなかった。

ようやく尾崎が歌いたかったことに共感できる精神年齢になったのかもしれないし、
ボクの心の中にある封印したはずの記憶がそうさせたのかもしれない。

実際に、尾崎の歌詞は青臭い部分が多く、10代の頃には「かっけぇ!」と思っていた。
でも夜の校舎の窓ガラスを壊して回ったり、盗んだバイクで走りだしたりはしていない。

実際はできなかっただけだけどさ。

色々とアラフォーなりの抗いを見せている中で、
10代の時に感じていた憤りみたいなものが噴出したのかもしれない。
自分の中の青臭さが、涙となって出てきたのかもしれない。

昔に聴いていた曲は、いろんな感情を思い出させる。

風景や、匂い。周りの音や好きだった子の声やしぐさ。

「ちょっと疲れてんのかな…」そう思いながら
プレイリストの次の曲がかかった。

尾崎豊の「Bow」だ。
この曲の歌詞は、正直よくわからない。

一部を引用したいと思う。

鉄を食え!飢えた狼よ 死んでもブタには食いつくな!

尾崎豊 「Bow」

ボクの心にある感情が芽生えた。
「やっぱ、かっけぇ…!」