「ジョーカー」と「マズロー」

あまりにも話題になっていたので「ジョーカー」を観に行ってきた。

↓ジョーカーの特設サイトはこちら↓

http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

そもそもバットマンを観たことがないボクが「ジョーカー」を観に行った理由は、なんとなく風貌がボクに似てるから。

会ったことがある人は「あぁ…」って言ってくれると思う。ちなみに実物はもう少し顔色が良い。口はこんなに大きくないし、急に笑い出したりはしない。ハハッ!!

「ジョーカー」のネタバレしない程度のあらすじ

詳しくは劇場でぜひ観ていただきたいのだが、掻い摘んで話すと色々と障害(精神的にも経済的にも)を抱えているコメディアンのアーサーが、現実と妄想の区別がつかない状態ながらももがき苦しんでジョーカーをして生きていくストーリー。

演じるのはホアキン・フェニックス。リバー・フェニックスの弟。

どっちも格好いい。

R15指定の作品で、ガンガンにアーサーが周りの人間を殺していく。まぁ、R15指定になるわなってくらい殺す。しかも色んな凶器で。ちなみにエロはない。微塵もない。

R指定の作品の中では歴代興行収入がNo.1だそうだ。確かに面白かった。

そんなグロい作品にもかかわらず、鑑賞後の感想は「めっちゃキレイな作品」だった。ロバート・デ・ニーロが出ていたからか「タクシードライバー」など、1980年代の時代背景などに色々な作品へのオマージュも散りばめられていたように思う。

そしてボクは泣いた。アーサーの気持ちが何となく透けて見える、非常に丁寧な作品だったからだ。

「マズロー」のネタバレ

結論に行く前に、観ながら思った「マズロー」の話をしたいと思う。

聞いたことや見たことがある人も多いと思うが、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化した「マズローの欲求五段階説」というものがある。

生理的欲求は「寝たい」とか「ヤリたい」とか、生物の本能的な欲求で今回の作品には特に影響がない。

今回の作品でアーサーがジョーカーになっていく理由は、安全欲求から上の部分。

本作ではアーサー自身売れないコメディアンとして生活しながら、若干認知症の気がある母親と暮らしつつ、自身も福祉センターのカウンセリングを受けて精神安定剤的な服薬もしている。

ゴッサムシティ自体が、財政難というか荒廃している街なので福祉財源等が削られていく中、生活が苦しい、いわば「安全欲求」が脅かされる生活を送っている。

その中で彼が見出した光は「笑い」であり、TVの中に映るコメディアンの姿にあこがれながら自身も売れないコメディアンとして、ネタストックを行っている。

まぁ、ハタから見ると痛いところ満載のアーサーだが、母親と隣人のソフィーには愛されているがそれも後々に綻びが見え始める。詳細はネタバレになるから割愛。

ここで、彼の「社会的欲求」が崩落していく。

しかしながら、ひょんなことからTVにコメディアンとして出られるようになったアーサー。そのきっかけは彼の「承認欲求」と真逆のところからやってくる。

当然、エンディングはアーサー=ジョーカーとしての「自己実現欲求」を満たしにいく。

めっちゃ良くできたストーリー。

結局、人はだれかに認められたいんだと思う

一般的に見て「社会的弱者」であるアーサーが、いかにして稀代の悪役になったのか。

結論は「周囲の人間にどう見られてるか」もしくは「周囲の人間にどう見られたいか」なのかなと。

当然映画の世界なので、今回の作品のように実生活で全部のピースが上手くパチっとはまることは滅多ないけど、「あ、あの人の一言が今思えば響いてるのかもな」とか「あの時こっちを選んでたら今の生活じゃなかったよな」とか考えるときはあると思う。

それって、今の立ち位置から見てその時の自分がどう見えるか、もしくはその時の自分から見て今の自分はどう見えるかの振り返りだと思う。その背景には、「(特定の人に)こう見られていたい」「こういう自分を見てほしい(ほしかった)」って気持ちがあると思ってる。

その時の周囲の環境で、自分の承認欲求の成果対象が変わると思うので、良い自分になりたかったら良い周辺環境を作らなきゃね。ひいては良い友達を作らなきゃね、人の悪口とか言ったら自分に跳ね返ってくるよ、ってお話でした。

おわり。