新年早々から続いていたボクの心の中のわだかまりは、一旦、昨日終止符を打った(つもり)。
ずっとそのことばかりを考えていたからか、安堵感というか虚しさにも似た脱力感というかどっと疲れが出たにもかかわらず、まったく寝付けないまま布団の中でムダに寝返りを繰り返していた。
「いま、この空っぽの中に鋳物を流したらどんな形で仕上がるんだろう」
ドンドンと明るくなっていく窓の外をぼんやりと眺めながら、そんなことを思っているときにふと、父方の祖母のことを思い出した。
父方の祖母はボクが13歳の時に死んでしまったので、徐々に記憶が薄れていってしまっているのだが、覚えている限りでは彼女は見ず知らずの他人にですら無償の愛を与えられる人だった。
余談だが、母方の祖母はまだ存命で、彼女は彼女でボクの中ではなかなかパンチが効いた人なので、機会があれば書きたいと思う。
他人に迷惑をかけない生き方
父方の祖母は、とにかく芯の強い人で、 信心深い人で、 他人の迷惑になるようなことは嫌う人だった。
以降、ばぁちゃんと記述。
結果的にそれがばあちゃんの寿命を縮めたんじゃないかとボクは思っているのだが、そのことを馬鹿にする人も、ばあちゃんのそういった生き方について諫めなかったことを後悔する人も親族にはいない。
ばあちゃんは結局、皮膚ガンが原因で死んだ。
物心ついた時から、ばあちゃんの右目の下には、100円玉くらいのサイズのお経を書いた札を小さなガンだったであろう場所に貼っていた。
周りがどれだけ病院に行けと言っても「他人様のお金で病院なんかに行ったら罰が当たる」ばあちゃんはそう言って頑なに病院に行こうとはしなかった。
結果的に顔の右半分がガンによって蝕まれた後、ようやくばあちゃんは病院に運ばれた。
余命2週間。
最終的に他人に迷惑をかける形になってしまったのかもしれないが、ばあちゃんらしいっちゃばあちゃんらしいと思う。
いま同じ状況になったら、力づくで病院に連れてくかと言われると正直わかんない。
何が彼女をそうさせたのか?
余命2週間と言われたばあちゃんは、そこから奇跡的な回復を遂げ「これが信心深さのなせる業か…」と思ったけど実際のところはよくわからない。
ただ、顔の半分が無い老婆が朝の4時から病院の長い廊下を雑巾がけしていたらさすがの看護婦さんも肝を冷やしたと思う。
実の祖母だとわかっていても、ボクだったらチビる自信がある。
ばあちゃんに代わって謝ります。ごめんなさい。
ばあちゃんの入院した病室は二人部屋で、隣のベッドは4,50代の女性だった。
ピクリとも動かず、病名とか詳しいことはわからないが、完全に寝たきりで当時中学1年だったボクから見ても長くはないんだろうなって感じだった。
日課の雑巾がけを終えた後は、隣のベッドの女性に話しかけ、お見舞いでもらったチョコやアメを小さく砕いて彼女の口元に運ぶのがばあちゃんのルーチンだった。
「聞こえてないだろうにな」とか「味わかるのかな」とか思いながら、ばあちゃんがやっていることを不思議に見ていた記憶がある。
場合によっては看護婦さんを差し置いて清拭を買って出るなど、何がばあちゃんにそこまでさせたのか未だにわからないが、一つ言えることは彼女は何の見返りも求めずにそれをやっていた。
無償の愛を与えられる人
驚異的な回復を見せたばあちゃんも、半年後には還らぬ人となった。
葬儀には数えきれない弔問客がきて、菩提寺だけではなく、生前に縁のあった宗派の違うお寺からも読経にきてくれた。
信心深いばあちゃんからすると、願ってもないLAST GIGになったんだと思う。
来る人来る人「生前にお世話になって…」と言う。
みんな、ばあちゃんから無償の愛を受けた人たちだったんだろうな。
一方で25年経過した孫のボクはというと、「無償の愛」を標榜しつつもどこかで見返りを求めて活動するような打算的な孫である。
今回の件についても、最初から「無償の愛」を貫いていれば何の問題もなかったような気もするし、そんな聖人君子のようなことをしていたら身を滅ぼすのも時間の問題だったと思う。
「これで良かったんじゃないの?ちょうどいい感じの着地点だよ」って思いながら、最後まで貫き通せなかったところに後悔もある。
来年になると、彼女の人生の半分を生きたことになる。
「まだ半分」
そう思って、明日からも生きようと思う。