ハンバーガーが食べられなかった頃の話

今回も予告短歌がありましたね

今は昔、松任駅前にまだモスバーガーがあった頃、すなわちボクがまだ幼児だったの話です。

あの頃の松任駅前は今みたいに拓けてなく、目の前につばめタクシーのプールがあり、マルエーがあり、マルエーのサブショップ的な形でCDショップとモスバーガーと喫茶ともしびが存在してましたね。

いやぁ、懐かしい。

※30年以上前の人口5万人の金沢市のベッドタウンの話をして、読者をフルイにかけております。

閑話休題。

何歳頃かは覚えてないですが、母に連れられいつも通りモスバーガーへ行き、ハンバーガーを注文した時に、レジ横にこいつがいました。

単なる盲導犬の募金箱なのですが、なにを思ったか当時のおぎ幼児は

「ボクが食べてるハンバーガーの肉はこの子なんじゃないか…?」といらぬ罪悪感を感じ、でも食べないと怒られるので泣きながら食べた記憶があります。

なぜ泣いてるのかわからないであろう母には、可哀想なことをしたなと思っています。

それからというもの「フィレオフィッシュ」的ないわゆる肉を使ってないハンバーガーしか食べられない少年期を過ごしましたとさ。

そして、中学生くらいからは「材料費を安くするためにミミズ肉を使ってる!」という陰謀論を信じ込み、そもそもハンバーガーなるものには近寄らなくなりました…

でもバイトすると変わるよね、めっちゃ食った。

ただあの頃のマックはまぁまぁ理不尽だった。

今はもう変わってるんだろうけど、時給700円で俺をこき使いやがって!許さんぞ!

今でも海外行くと必ずマック行く、ハンバーガー最高!あと中華料理もいつも助けてくれる!